抹茶碗 両手でもつこと その魅力

紅茶専門店 京都セレクトショップ/中野光崇です。

私は京都で紅茶専門店をしていますが、紅茶のティーカップではなく、最近、抹茶を飲む茶碗の魅力に取りつかれています。その魅力についてまとめてみたいとおもいます。

●抹茶の茶碗を使い始めたきっかけは…

紅茶専門店をしているので、紅茶用のティーカップにこだわりたいと思っていろいろと探したり買ったりして楽しんでいました。私が一番好きなティーカップはハンガリーのヘレンドというメーカーのものでした。

手書きで繊細な柄を書くメーカーで、ティーカップは優雅でした。そのヘレンドのティーカップの中でも特に品質の高いものは、中国や日本の磁器の柄を真似たものが多いです。ヨーロッパの磁器は、もともとは、東洋の磁器を見て憧れて発展していったものなので、それなら紅茶用のティーカップよりも、日本の抹茶用の茶碗のほうが優れているのではないかと思いました。

しかも、ヨーロッパのティーカップのメーカーは個人ではなく会社単位で活動しているので、商品には品番がついてそれが大量生産されるため、品数には限りがあり、それも魅力がない理由の一つになっていました。

日本の抹茶碗の茶碗は、品質のいいものはほとんどが個人、または少人数の窯単位で作られるので品物が多種多様であり個性的でとても魅力があるものが多いのが特徴です。

●抹茶用の茶碗の魅力の理由:『把手がないことで集中できる』

ティーカップには把手(とって)があります。そのため片手でカップをもって飲めますので目線は手元のカップにいかなくてもいいだけにテレビを見ながらでも、人と会話をしながらでもティーカップで紅茶を飲むことができます。紅茶に100%、目線も神経も集中していないのです。

一方、抹茶用の茶碗は「把手(とって)がありません」

把手がないので、茶碗は両手で持つ必要がでてきます。片手でもつには大きすぎます。両手で覆うようにもつ大きさです。

両手でもって口をつけるときには目線は茶碗の中の抹茶に注がれます。テレビをみながら両手で抹茶を飲むのは適していません。抹茶を飲むときは茶碗に100%、目線も神経も集中されるのです。

抹茶にふくまれるカフェインを摂取するので、否応にも人は集中力が高まります。その高まった集中力で茶碗を見ているのです。見られる茶碗も大変です。それだけ集中して見られるので茶碗を作る人も真剣勝負でつくっているものと思います。

両手で飲むか、片手でのむか、それが、抹茶用の茶碗と、紅茶用のティーカップの最大の違いだと思います。

●紅茶専門店を26年やっていて気が付いた抹茶碗の魅力

紅茶専門店をやっているので、自宅でよく紅茶を飲んでいました。紅茶を飲むとティーカップにもこだわりたくなります。

いいティーカップがないかといろいろ探してみると、ヨーロッパのティーカップのメーカーでも、とてもいいティーカップは日本の有田焼のデザインを真似たり、中国のデザインを真似たり(シノワズリ)するものがとても多く、それであれば、その原点の東洋の陶磁器のほうが優れているのではないかと思って、抹茶碗のことが思い浮かびました。

手始めに京都の百貨店に抹茶碗を見に行くと、その柄はティーカップよりも魅力があり、どれも個性的で様々な柄があって、まず1個の抹茶碗を買いました。カキツバタの柄でした。

それまでカキツバタのことは全く知らず、仕事ばかりの人生だったため、日本にはこのように季節のお花を楽しんだりする文化があるんだと知りました。

そこから、出身地の地元の山口の萩茶碗や、京都の楽茶碗など、柄のない釉薬や形で個性を表現した抹茶碗に出会い、ますます、抹茶碗にはまっていきました。

茶碗の魅力 名工の子でも名工にはなれない

日本で抹茶用の茶碗が作られて400年の歴史があると言われていますが、代々、抹茶碗を作る家、陶磁器を作る家が存在します。

その中でも、○○の家の○○代目は名工と言われて今でも高値で取引されています。

しかし名工と言われた人でも、その子供は名工と言われないことも多いのです。その家の子供に生まれれば教えがあってもなくても、その環境で育つのに名工にはなる極稀な人と名工になれない人がいるということは、その人の手先の器用さや人柄が大きく影響してくるのだと思います。

名経営者であっても、その子供は名経営者になれるとは必ずしも言えない。それと同じことが陶工の家にも当てはまるのだと思います。

茶碗を使っていると、なぜか、とても心が落ち着く茶碗がいくつかあります。その歴史を調べてみるとそれを作った人は長寿で優雅な晩年を送った人が多いです。茶碗は一人の人が一人で作るものが多いので、その人の人柄がとても出るのだと思います。

一人一人の個性がとても感じやすいのが茶碗の作り手で、親子でも同一人物ではないのでそれぞれの雰囲気が違った茶碗がでてくるところも、多種多様さがある茶碗の魅力だと思います。

茶碗(抹茶碗)の作り手は長生きしないといけない?

茶碗(抹茶碗)の作り手の人で、その人が30歳代の若いころに作った茶碗と70歳代のころに作った茶碗では、明らかに70歳代のときに作ったほうが味が出ていい茶碗になっていると思うことが多いです。

いい抹茶碗を作ろうと思ったら長生きすることが条件の一つのようです。

原料の土も窯の火も、同じものが全くない状況であるとある程度は人から伝承を受けたとしても作り手のご本人がたくさんの経験を積んで、あのときはああだったから、このときはこうだな、このような茶碗にしあがるなと経験からくる勘が必要になってくるのではないでしょうか。

経験をたくさん積まないといい抹茶碗は作れない、長生きすることがいい抹茶碗を作ることの条件になっているのだと思います。

特に家を子供に譲って当代を引退された後の人は、家業や生業からの圧から解放された心の状態で作るからか、その人が作った抹茶碗を手に取ってみると、おおらかな気持ちになり癒されることが多いです。おじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びにいった孫の気持ちに戻れます。